村立家政学院を開設する

1956(昭和31)年4月1日、森國久は自らの構想で「龍ヶ岳村立家政学院」を開設しました。開設したといっても、学院の校舎はなく、龍ヶ岳村の高戸小学校の校舎の教室を間借りするという形で、学院の校長に相当する主事は高戸小学校長が兼務するという態勢で発足しました。その後、龍ヶ岳村の他の小学校区、つまり樋島小学校区、大道小学校区にも開校され、高戸小学校区の教室とあわせて全部で三教室となりました。

これは村内の、新制中学校の卒業生(またはそれに準ずる学力を有するもの)女子を対象にした、「勤労青年学級」とでもいうべき意味合いをもつ村独自の教育制度でした。当時の龍ヶ岳村は村の文化、教育行政を重視し、学校教育とは別に行われる社会教育にかける予算は天草の中でもトップクラスでした。家政学院の開校は、校舎こそ義務教育と兼用でコストはかかりませんでしたが、講師手当、その他の経費は村の教育予算のなかに組み込まれました。

科として本科と、研究科を設け、修業年限は1カ年の昼間開講。開講科目は、社会、家事、裁縫、珠算、農業、音楽、体育で、特に配分時間の多かったのは家事と裁縫でした。今日の基準から見れば修業年限が1カ年という非常にささやかな教育機関でしたが、それでも当時としてはこの実践は画期的なものであったと言えるでしょう。

龍ヶ岳村立家政学院の設立当時の詳細については別項(PDFファイル)で紹介します。

(H.T.2017)