わが車よ、轍よ

左が森 国久

  わが車よ、轍よ

■■■■■■■森國久

ぐるぐる廻る車の轍
三年間にどれだけ廻ったか

その廻った跡を
逆に廻り行けば
どこに行くだろうか
車の故郷に行くのだ
車の故郷に

この車が故国の地に
頬ずりしてから
幾年になるだろう
三年顧ー

まだその頬ずりの後味を
忘れないだろうか
まだ忘れられない
との事である

思い出す度に
胸のふくらむ
思いがする
と車は言ってるよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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荷車は、むかし人や荷物を運ぶ道具でした。戦場でも使われました。この荷車の車輪を轍(わだち)と言います。もともとは車の車輪が通って残す車輪の跡のことを表現する言葉でしたが、そこから意味が転じて、馬車や荷車の車輪そのものを轍と呼ぶ言い方が出てきたのです。

森國久が所属したのは、中国南支に展開する第21軍の兵站部隊です。この部隊の重要な軍事用の装備として、ふつうは武器、弾薬、食料、水などの補給物資を積み込んで移動する道具としての荷車。その荷車の轍を詠んだ詩が「わが車よ、轍よ」です。それは詩とも意識せずに、森國久軍曹が握りしめたペンの先からこぼれ落ちた文字を連ねたものです。「ぐるぐる廻る車の轍 三年間にどれだけ廻ったか」で始まります。車とは軍事用の荷車です。その荷車の輪が轍です。詩はPDFファイルで示しますので、写真とあわせて鑑賞してください。
     (H.T.2017)

■ PDFへのリンク => わが車よ、轍よ