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森国久とは?

異色の人材―森国久
森国久は大正元年(1912)、熊本県天草郡樋島村(現在は上天草市龍ヶ岳町樋島)に生まれました。家庭的に不遇な幼少期を過ごしますが、さまざまな経験を積みながら、こころ豊かな人に成長していきました。

独学、勤勉の人
兵役に就いていた20代の後半、中国南部の兵舎で、戦火・従軍の合間をぬって寸暇を惜しむように政治学、法学、経済学を独学し、他方では詩を書いていました。

生まれ故郷の村長に
太平洋戦争がおわった新生日本の激動期、公職追放に遭い警察官を辞め、熊本県南部の八代市の港町で団体役員をしていました。昭和26年(1951)5月、若者たちに請われ、38歳で生まれ故郷の樋島村の村長選に立候補し、当選して村長になります。

村政改革
これを境にして彼の人生は一変します。財政赤字を解消し、停滞していた政治の改革を断行します。詩人の魂をそなえた政治家、森国久の第二の人生がここから始まります。それ以後、常に住民とともに歩み、一緒に汗水を流し、陽の当たらない人にも手をさしのべ、人びとを励ましつづけました。

天草諸島全域の政治リーダーに
離島天草の後進性を痛感した森国久は、小自治体の限界を克服するために町村合併を進め、さらに天草諸島全域の広域行政に目を開きました。そして天草架橋、天草全島の道路網整備、本渡瀬戸開削、天草の国立公園化等のために日夜奮闘しつづけます。

日本全国の離島振興に貢献
熟慮にもとづく決断力・実行力をもって、離島振興を目的とする全国組織の役員や政府審議会の委員として活躍しました。

早すぎた死
しかしながら昭和36年(1961)6月26日、あれだけ熱望し、着工への確かな道筋を付けたにもかかわらず、天草五橋の完成の日を待つことなく、過労から来る病気のため倒れ、妻子を遺して急死しました。このとき48歳でした。

大いなる遺産
人生の最後の10年間、寸暇を惜しむように住民の、住民による、住民のための政治を誠心誠意実践しました。そしてこの実践によって、このホームページで紹介する多くの有形・無形の遺産を遺しました。

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