産院の設置 ― 乳幼児医療の充実

龍ヶ岳町の前身である龍ヶ岳村では1956(昭和31)年、当時、村立としては全国的にも珍しい「産院」を設置しています。今日では、産院をほとんど見かけなくなりましたが、病院の産科やクリニックの開業が普及する以前は、産院の設置は全国でも待ち望まれていたのです。それまでは、助産師(「産婆さん」と親しまれ、頼りにされていた女性)が、産気づいた女性の家に赴き、新生児の出産を手助けしていた時代が長くつづいていました。

今でも、子どもを産むことは母体にとって生命の危険を伴うこともある一大イベントですが、新生児にとっても生命の危険を伴う初めての危機です。新生児は生命の危険にさらされ、出生後数ヶ月の死亡率は他の時期よりも際だって高いのです。逆に言えば、この危機を乗りこえることができれば、母子ともにたくましく育ち、人間的にも成長を遂げるのです。

とは言っても、危機は矢張り危機で、これを人間の手によってコントロールすることができれば、誰しも避けたい悲しみを避けることが可能になるはずです。森國久は乳児死亡率の減少を図るため、いち早く産院を開所しています。そして、この産院の設立は、やがて上天草総合病院の設立計画へとつながっていきました。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ (J.M.2017)