良口会戦

   良口会戦の譜

森 國久

今日は珍しく午後になって
十幾日振りに太陽の姿を拝む

一日の進軍なり
日は没せんとす
時折思い出したように
対岸に銃声未だ残る

沈まんとする夕日を
私は黙って眺めていた
私のそばに誰が
座ったのかも知らなかった

部下の死、戦友の負傷、愛馬の死
苦しかった昨日までの進軍
ツンツンとこみあげてくる熱いもの

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1940(昭和15)年5月13日からおよそ1ヶ月間、森國久は中国国民革命軍とのあいだで戦われた良口会戦に参加しました。
広東(現在では広州市)の中心部から、現在のG45に沿って北東方向に進むと、流渓河国家森林公園につきます。
この公園の西の麓が良口鎮です。現在の住所表示では広東省広州市従化区良口鎮といいます。
日本の都市の広さと比べると、広州市はずいぶん広く、長大な南嶺山脈につながる山岳地帯も広州市域です。
良口会戦はここを中心に闘われた丘陵地と山岳での戦です。
広東からの約80キロメートルの道のりを進むには、高速道路を利用できるようになった今日でも、かるく約2時間を必要とします。
重い軍需物資を運搬しながらの徒歩での行軍はさぞかし重労働であったにちがいありません。
兵士たちはみな一日の戦いが終わり、疲れ果てた身体をしばし休めて夕陽を見ています。
國久もそのなかの一人です。その夕陽はかれが故郷の天草、樋島で見ていた夕陽と同じ夕陽です。このとき國久27歳でした。
この戦いは國久が最後に参加した実戦でした。一日の戦いが終わって明日の戦いに備える、そのしばしの休息の時間―平和な時間。
「今日も何とか生き延びることができた」との感懐は、夕陽を見るとなおひとしおのことだったろうと想像されます。
しかし、戦いの後のつかの間の休息のときであっても、思い出してはこみ上げてくる熱い感傷。詩想が湧いてくる瞬間です。
この詩に登場する夕陽は、國久の妻も子も日本で見ていた夕陽にほかなりません。
そしてまた中国軍の兵士たちも家族を想いつつ見ていた夕陽にちがいありません。夕陽に国境はないのです。
誰もが傷つき倒れた戦友を想う、硝煙の立ちのぼる野辺に斃れ、故郷、あるいは故国の地をふたたび踏むことのない不遇の戦友を想う、遺してきた家族を想う、恋人を想うのです。
まるで夕陽はさまざまな追想の導火線。
( H.T 2017 )