「征(ゆ)く道」
■■■■■森國久 寸断されたこの道が ■■よくも掘ったこの道 そして幾日と ■■思へば戦いの道 |
■「寸断されたこの道が」で始まるこの詩は、1939(昭和14)年12月16日から翌年の1月9日まで展開された翁英作戦に、輜重兵(しちょうへい)として参加した経験をもとに作られています。森國久はのちにこの戦いのことをしみじみと回想しています。この戦いのための行軍が最も苦しかった、と。
■翁英(おうえい)という呼称は「翁源」と「英徳」という、二つの地名の頭文字をあわせたものです。翁源は広東(今の広州)の北東方向(広東から直線距離にして約160キロメートル)、英徳は北方(広東から直線距離にして約110キロメートル)に位置する交通の要衝。南嶺山脈の南部に位置し、山脈の分水嶺らは幾筋もの河川が流れだし、珠江のデルタ地帯を潤します。
■輜重兵の主任務は武器弾薬と食料の輸送です。輸送には船と荷車と馬を使います。けれども敵はふつう道路を爆破しながら撤退するので、そのままでは輸送がままなりません。そのようなときには「寸断された道」の、昼夜問わずの突貫工事が求められ、それにも従事したのです。
■彼が属する「渡河材料隊」では、いくつもの河川を渡りながら輸送任務に従事するので、船が不可欠です。船は木造船。その船を担いで(詩のなかでは「カツイデ」と表現されている)陸路を征かなければなりません。水に浮かべてこそ船は軽いものですが、陸を、しかも山道を担いで進むのには重すぎます。それは想像を絶するほどの重労働だっただろうと思われます。
■■■■■■■■■■(H.T.2017)