■■離島振興法案、修正なしで見切り発車か

1953(昭和28)年6月25日は森國久にとって生涯忘れることのできない一日となりました。この日開催された全国離島代表者決起大会のことです。ここではそれを中心に書きとめます。
別の個所で述べたところですが、同年3月に国会解散によって離島振興法案は審議未了となりました。その後、次の国会上程に向けて、関係者の折衝が続いていました。島の離島関係者たちの胸中には、3月案よりもよりよい案として国会に上程してもらいたいとの切なる願いがありました。けれども政権党である自由党の内部では、3月に上程したのと同じ内容でなければ、次の国会での通過は困難だろうというのが、もっぱらの観測でした。全国離島関係者たちは焦っていました。
そのような状況のなか、ついに法案は22日、自由党の政調会において第1回の審議が開始されました。見切り発車のようなものです。そして翌々日の24日、第2回審議が行われました。この日、全国から状況を知った離島代表者が続々と上京してきました。
25日には、法案は修正なしに政調会の最終審議も総務会の審議も通過してしまいました。これでもう後戻りはしないだろうという状況となったのです。これによって法案は国会に上程されることがほぼ確実となり、衆議院経済安定委員会の審議に付託されました。
全国離島代表者決起大会、国会内で
この日の午前中、発起人たちによって、ついに離島代表者決起大会発起人会が開かれ、この日の午後の行動計画を決定しました。そして午後1時から、衆議院第一議員会館第一会議室において、危機感を持った離島代表者をはじめ離島関係者たちは、離島代表者決起大会を開催したのです。まるでドラマのクライマックス・シーンのような展開です。
■■この日、衆議院第一議員会館に集まった人びとは次の通りでした。
■■・国会議員:31名。
■■・政府側:4名。
■■・島嶼研究会:5名。
■■・都県側:島根、新潟、長崎、鹿児島各県の知事、副知事、県会議長、
■■■県議など22名。
■■■・離島代表者:島根県14名、新潟県26名、長崎県14名、鹿児島県13名、
■■■■東京都7名、熊本県7名。

以上、総勢で143名です。(注:松本光之、「離島振興法制定の経緯概況報告」『しま』第2号、1953年、12-6頁)これだけの人数が集まれば、さぞかし梅雨時の会議室は熱気でむんむんとしていたことでしょう。