森国久の略歴

森國久は1912(明治45)年7月10日、熊本県天草郡樋島村に生まれ、波乱に満ちた生涯を生き抜き、1961(昭和36)年6月26日、48歳の若さで旅立ちました。

その履歴の詳細については、項をあらためて紹介しますので、ここでは本ホームページを見渡す際の参考にして頂くために、略歴をできるだけ短い形にして提示します。

明治45年(1912)7月10日…熊本県天草郡樋島村に生まれる。
大正 8年(1919)…樋島小学校に入学する。
大正14年(1926)…(旧制)天草中学校に入学する。
昭和 2年(1927)…(旧制)八代中学校へ転校する。
昭和 5年(1930)…(旧制)八代中学校を卒業する。新聞社に入社する。
昭和 8年(1933)…兵役に就く。
昭和10年(1935)…熊本県警の警察官となる。
昭和13年(1938)…ふたたび兵役に就き、中国華南の広東に赴く。
昭和16年(1941)…熊本県警に復職する。
昭和21年(1946)…熊本県警を依願免退職し、熊本県鮮魚船商業協同組合専務理事に就任する。
昭和26年(1951)…熊本県天草郡樋島村の村長に就任する。
昭和28年(1953)…熊本県離島振興協会の副会長、全国離島振興協議会の副会長に就任する。
昭和29年(1954)…大道、高戸、樋島の三村が合併して龍ヶ岳村が誕生し、龍ヶ岳村の初代村長に
就任する。天草上島東海岸道路期成会の会長に就任する。
昭和30年(1955)…内閣設置の離島振興対策審議会委員に就任する。
昭和31年(1956)…天草郡市町村会の会長、天草架橋期成会の副会長、ならびに天草振興協議会の
初代会長に就任する。
昭和33年(1958)…天草観光協会の会長に就任する。
昭和34年(1959)…龍ヶ岳町の初代町長に就任する(町政施行に伴う措置)。
昭和35年(1960)…熊本県町村会の副会長に就任する。
昭和36年(1961)…東京出張の途上でたおれ、6月26日、熊本市内で病死する(享年48歳)。
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昭和36年(1961)…天草架橋の着工が正式に決定される。
昭和37年(1962)…天草架橋の起工式が催され。高松宮がご臨席される。
昭和41年(1966)…天草架橋開通する(9月24日)。

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               穏やかな表情の森國久
おそらく龍ヶ岳村長時代に撮影されたものだろう。初代龍ヶ岳村長に就任したのが42歳のときであるから、いよいよ天草架橋関係の仕事が増えていく時期である。